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特 集

甲の薬は乙の毒—ワイル博士のドラッグ論

上野 圭一(翻訳家)

 もう20年以上もまえのことだが、ワイル博士とふたりでLSDのセッションをしたことがある。それはとても静かで深い、透明な時間だったという記憶がある。

 そのとき、博士は自分の少年時代のことを語ってくれた。フィラデルフィアの帽子店の息子だったワイル少年は、町にサーカスがやってくるのを楽しみにしていたらしい。というのも、当時の巡回サーカスには「催眠術ショー」がつきもので、ワイル少年はその催眠術にいたく魅了されていたからである。「それがわたしの心身相関への関心のはじまりだったのさ」と博士は笑っていた。

 催眠術師のことばによって被験者の意識に変容が生じ、その結果、からだが異常に硬直したり、たんなる木の棒を異常に熱く、または冷たく感じたりといった“心身相関のふしぎ”にたいする少年の関心は、その後、意外な方向にむかっていく。

 いまやアメリカを代表する名医のひとりに数えられるようになったアンドルー・ワイル博士は、ハーヴァード大学の医学校に進学するまえに、同校で言語学・心理学・植物学を学んでいる。そして関心領域は「言語と身体」「深層心理と身体」からだんだん「民族精神薬理学」にしぼられるようになり、世界の先住民文化における向精神性植物(いわゆるドラッグ)の広汎な利用法についての知識をもって医学校に入学したのである。

 年長の医学生だったワイル青年は、偏差値が高く記憶力にはすぐれているが医師としての資質にかんしては首をかしげざるをえないような同級生たちを尻目に、心身相関の医学を追いもとめていた。先住民の呪術師がドラッグを巧みに利用して患者を変成意識状態に導入し、さまざまな病気を治していくというシャーマニズムのテクノロジーを現代医学に応用できないかと考えたのである。しかし、当時のハーヴァードには、そんなことに関心をもつ教授はおらず、失望したワイル青年はしだいに「落ちこぼれ」ていった。そしてサンフランシスコの病院でのインターン時代に、「自分が教わってきたような現代医学の治療法には手を染めまい」と決心し、国立精神衛生研究所に就職して、当時、若者たちのあいだで大流行していたマリファナの心身相関性にかんする研究に没頭する。

その成果をまとめた『ナチュラル・マインド』(1971, 草思社)がベストセラーになったのを契機に国立精神衛生研究所を退職した博士は、国際情勢研究所の研究員となって、いよいよ念願だった先住民文化のフィールドワークを開始した。北米、南米、アジア、アフリカのシャーマンを訪ね歩き、とりわけペルー・アマゾンではアヤワスカ(ヤヘー)を使うシャーマンに弟子入りをして、体験的な研究をくりかえした。その成果を『太陽と月の結婚』(1980, 日本教文社)として結実させた博士は、アリゾナ大学医学校に就職し、助教授として心身相関医学を講じはじめた。そしてアメリカの医学校ではじめて代替療法についての講座をひらき、その講義録をもとにして名著『人はなぜ治るのか』(1983, 日本教文社)を書いたのである。

『人はなぜ治るのか』は「心身医学の金字塔」と絶賛され、現代医学の限界に悩んでいた良心的な医学関係者に希望の光をあたえることになった。しかし、アメリカ医師会をはじめ、医学界の保守的な人たちはワイル博士を「ヒッピー・ドクター」として蔑み、その研究成果をまともに評価しようとはしなかった。

ワイル博士のドラッグ論でいちばん有名なのは「セットとセッティング」理論である。
おなじ向精神性薬物でも、それを摂取する人の期待感(セット)と摂取環境(セッティング)によって、その薬理効果は天国と地獄ほどの差が出るという理論である。これを博士は「甲の薬は乙の毒」と表現している。

 おなじマジックマッシュルームでも、セットとセッティングによっては薬になる人もいれば毒になる人もいる。したがって、ドラッグはそれを「いけないもの」「違法なもの」という文化的背景のもとで摂取する場合と、それを「聖なるもの」「神々の糧」と考える文化的背景で摂取する場合とでは、その効果に決定的な相違が生じる。ドラッグの作用はつねに摂取した人の意識のありようによって、その方向性が決定されるのである。ドラッグの医学的利用の鍵がそこにある。

60年代から70年代にかけてドラッグ文化の洗礼を受けたアメリカは、80年代になって脱近代の方向性を鮮明にしはじめた。それはデカルト以来の心身二元論・要素還元論が批判され、生気論・全体論が復活してきたことと表裏一体の現象である。近代が「脱魔術化」(マックス・ウェーバー)の時代であったとすれば、世界の「再魔術化」(モリス・バーマン)が積極的に評価される時代がそのころから顕著になってきたのだ。

 その動きにつれて、70年代の対抗文化から生まれたさまざまなオルタナティブが社会のあらゆる領域で具体的な姿をとりはじめた。ワイル博士がいち早く評価していた代替医療の普及も、そのひとつに数えられる。人びとが積極的に代替医療を利用しはじめ、1990年の時点で、国民の代替医療マーケットに支払う金額が現代医学の病院に支払う金額をうわまわるという、空前の事態が発生したのである。

『癒す心、治る力』(1995, 角川書店) が上梓され、大ベストセラーになったのは、NIH(国立保健研究所)に「代替医療調査室」ができて3年目のことだった。時代の変化はワイル博士にとって追い風となり、博士の提案や主張の多くが現実のものになりはじめていた。その年、アメリカ医師会はついに会員の医師たちに「代替医療の知識と技法を学ぶことを奨励する」という声明を発表して、それまでの見解を180 度転換した。

 催眠術に魅了されていた少年時代からシャーマニズムにおけるドラッグの利用を研究していた青年時代をつうじて、ワイル博士が一貫してみつめてきた心身の緊密な相関性にたいする関心はいま、現代医学と代替医療を統合する「統合医療」の実現へと向けられ、アリゾナ大学では瞑想やドラッグに偏見をもたない新しいタイプの医師の養成が着々とおこなわれている。

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