Self Healing
Qigong-everyday ー 気功的日常
功法5 気功的「読み聞かせ」とは
今村 美沙子
学歴社会・効率至上主義社会の中では、より効率を上げることを求められ続け、また常に、何かをなしたことの評価にさらされ続けることから、人はともすれば自分の感覚・感情を脇において、成果を求めてくる相手に受け入れられやすい行動をとりがちです。
ところが、感情のエネルギーというのは非常に大きく、そのように自分自身の感情を封じ込め続けていると、長い間には体内に蓄積した緊張によって、からだ全体の働きのバランスもくずれます。
また、自分自身の中に素直にわき起こる感情を感じ取り、味わうゆとりもない日々を過ごしていると、自分の感情を他者に向けてきちんと表現し、共感や反発を通して互いに理解しあう、ということができなくなり、そのストレスから体内緊張をさらに高めるといった悪循環にも陥りがちです。
東洋医学では、たとえば、"「肝」と「怒り」は関係する"といった具合に「内臓」と「感情」の対応関係をみています。この時表現されている「内臓」とは、解剖学上の内臓そのものだけを意味するのではありませんが、幼い子どもに絵本を読んで聞かせる、いわゆる"読み聞かせ"の折りに、その絵本の場面を想像しながら読む時、感情が動くとともに体内が変化し、その感情に充ちた声が楽に出るといったことがあります。
そうしたことから、幼子を膝に乗せて読み聞かせをしてみると、この非常に緊張の強い社会の中で生きているうちに、どこかに置き忘れて来てしまった自分の感情を味わうことを思い出すことができるのではないかと思い、ここに提案したくなりました。
もちろん、読み聞かせは「絵本」にこだわることはないのですが、とくに「絵本」は幼子にも内容についてのイメージがわきやすく、膝に乗せて読んでいると、その子の気持ちの変化がふっと感じられ、こうした交流が、読むことの楽しみを大きくします。
字を声に出して読むことだけに集中するのではなく、体内の変化にも意識をむけながら声に出してみることをしてみませんか?
"読み聞かせ"が長続きするためのポイント
——世界を共有する喜びが、その原動力
- 読み終わった後、内容について教え込もうとする気持ちをもって解説しようとしない。
- 読み終わった後、自分にも相手にも、感想を強要しない。
- 読み終わった後、ふっと何か言葉にしたくなったら、それが妥当か否かにこだわらずに、言葉にしてみる。
- 子どもから出た言葉は、その子にとって、「その時の、その子の言葉として事実」と受け止め、大人の価値観で評価しない。
- 読んで欲しい本を、本人に選んでもらうと、繰り返し同じ本を選ぶことが多いが、読み手もあきずに、共にその世界にひたることを楽しんで読む。
成果を求めつづけ、また求められ続けてきた私たち大人の「からだの生活習慣」は、集中していなかったり、静かに聞こうとしない相手に、つい「せっかく読んであげているのに、なぜおとなしく聞けないのか!」とか、反応のないことに無力感をおぼえて「せっかく読んであげても、この子は何もわからないんだね!」といった言葉を投げつけてしまいがちなものです。あるいは、言葉を投げつけないまでも、からだはしっかりと相手の反応に対して不満を表明してしまいがち……。
けれども、「自分が何かをなした手応え」を相手に求めるのではなく、「素直に反応する子どもの力を借りて、自分の中を整えることができるかもしれない」というような淡々とした気持ちでいれば、自分の予期する反応がなくとも苛立つこともありません。
「ほんとうのことなら 多くの言葉は いらない
野の草が 風にふかれるように 小さなしぐさにも 輝きがある」
(星野富弘 『風の旅』から)
幼子のほんの小さなしぐさを感じ取ることは、自分自身のからだの中の変化も感じとることにつながる…そんなふうに思います。
かつて、2才頃の子を腕に抱きながら、子どもを対象とした舞台を観賞をしたことがあります。この時、当然、話の展開にはついていけていないはずのその子が、主人公が危険に陥る場面で、「こわい」と言って私にしがみついてきました。その場面は、効果音を使って危機感をあおりたてているわけでもなく、荒々しい声のやりとりもない、静かな中でハッと緊張していく場面だったので、その子の反応は大変印象的でした。
そのとき、子ども、特に幼子は言葉で理解するのではなく、「気で理解する」のだと思いました。場面とまわりの人の感情の気の流れを感じ取り、気の流れとしてからだの中に様々な感情を蓄積していく……。
![]() 『ノンタンのたんじょうび』 キヨノ サチコ作・絵/偕成社刊 |
また、やはり1〜2才頃の子が『ノンタンのたんじょうび』と、正確な本の名前は忘れましたが私の中で『うさぎのミミ』と記憶している本の2冊を、繰り返しリクエストしたことがありました。あきもせず、なぜ毎日この2冊なのかとふと疑問におもったある日、私はこの両方に共通しているものがあることに気づきました。
2冊とも途中は大変はらはらするエピソードがあるのだけれど、『ノンタンのたんじょうび』は、友達に誕生日を祝われるノンタンの喜びで終わります。一方、『うさぎのミミ』の終盤は、お母さんが大変大事にしていたお皿を割ってしまったために夕暮れになっても家に帰れず、暗い森の中でひとりポツンといるミミと、ミミを探しにきたお母さんが出会います。そして、「お皿をわってしまったの。ごめんなさい」というミミに、お母さんは一言、「ミミ、おけがはなかった?」無言の最終ページは、手をつないで家に帰るお母さんとミミの後ろ姿——。
子育てを15年以上もしていると、誕生日を祝ってもらう子どもの嬉しそうな姿は手の内に入っています。また迷子になったり、親子喧嘩の果てに家を飛び出した子を探す時の、肝の冷える思いと見つかった時の安堵の想いも何度か味わっているものです。
そうした私自身の体験が、「ノンタン、お誕生日おめでとう!」「ありがとう」の場面や、暗くなった森でようやくわが子をみつけた母ウサギの「ミミ、おけがはなかった?」と尋ねる私の声におのずと反映され、何かをこの子に伝えていたのだと思います。
読み終わっても何も言わないけれど、繰り返し同じ本をリクエストするこの子によって、「ああ、そういえば、母うさぎはお皿のことは一言もとがめず、ただミミにけがのないことだけを願っている。この子は、そんなやりとりのところが好きなのかもしれない」
そんなふうに感じた後、「ミミ、おけがはなかった?」を、この子に向けて言ってみた時、そのからだはふうっと満足感に充ちたものです。
ですから、子どもに対して、ひとつひとつのことがらについて性急にその反応を求めるのではなく、淡々と、「絵本を読む」ということを続ける中で、相手の子に何かが伝わり、また、自分もいつの間にか変化していくという気持ちでいればいいと感じています。
そして、これは気功の功法を身に付けていく過程と全く同じだと思っています。
まわりに幼子のいない方は、自分自身の中の幼子に向けて読み聞かせてみてはいかがでしょうか。きっと、何かがみつかると思います。
いまむら・みさこ Misako Imamura
20年余、子どもの世界でおきる事柄をみつめ、大人の心身の健康が大きな影響を与えていることを感じ、10年前から気功にふれる。気功にこだわらない心身技法を整理した「こころとからだが変わる 100日トレーニング」のプログラムを、3年半にわたり5回企画実施。その結果、「リラックス」「ふれあい」「つながり」をキーワードに、日常的な疲労回復から始まり心身の深い疲労回復を解決することによって、人のつながりが、やわらかな、あたたかいものになっていくことを確信する。気づかぬうちに蓄積させてきた深い心身の疲労を回復させていくことは、同時に身体本来の自然治癒力を発揮できる身体を取り戻すことでもあると考え、健康を視点においた運動にも4年弱関わる。現在フリー。
