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What's CAM?

 

オーストラリア代替医療事情(11)
Retreat—"日常を離れる"ということ

小川 京子(現・台湾 新竹在住)

 神道の大祓祝詞(おおはらえののりと)には、人の罪として天津罪(あまつつみ)と国津罪(くにつつみ)があり、前者は天然資源や自然の利用開発を怠ったり悪用したりすること、後者は国と人の徳、つまり国土や文化、民族の特質や特性を傷つけることとも解釈されます。  人間の文明は間違いなく進歩してきました。不毛の土地を開墾し、水力、電力、磁力、鉱物、植物と天より賦与された資源を存分に利用する技術を開発してきたことは非難されるべきではないと思います。私たちはともすれば文明の進歩と、それにともなう自然破壊と人間疎外の問題を混同しがちですが、問題点を憂うあまり、「何をしてはならないか」にひるんで「何をすべきか」に逡巡してはならないでしょう。

 医学の進歩も同様です。西洋医学が偉大なる貢献をしてきたことは厳然とした事実です。ただ、人はその中での心の不在が不安なのです。

 さて、西洋ではご存知のように心に対するケアへの関心は一般的です。以前からご報告しているとおり、meditation(瞑想)はまったくの日常用語で、宗教的、カルト的な意味合いはありません。ヨガや瞑想教室も町のあちこちにあります。
 こうしたコースは、週末や長期休暇中に合宿形式で行われることも多く、英語ではretreatと呼ばれます。

 retreatというのは、もともと"宗教的修行や黙想のために、日常生活から離れて一定の場所に閉じこもる"ことを意味します。私もヨガや呼吸法のretreatに参加したことがありますが、広大なオーストラリアの山や森の自然のまっただなか、人工の灯りのまるでない闇、満天の星、朝に手の届きそうなところまで訪れる野性動物とともに過ごした数日間は、まさに日常生活から隔離された空間でした。

 世話人と少数の参加者以外に人の気配のまるでしない、四方はるかに広がる宇宙を感じながら、
「生活に必要なすべてのことは、世話人がする。参加中の時間は、すべて自分のためだけのもの。人のためにするべきことはなにもない。会話さえも不要」
 と言われたとおり、自分の身のまわりのこと以外一切の雑事に心惑わされることなく、ただただ自分と、あるいは神とも宇宙ともいえるものと向かい合う満足感を存分に味わいました。

 人は人と接することで勇気づけられます。しかし、もうひとつ、私がretreatで経験したように、人といて人と話すことに気を使うことなく、子供のように人の世話を受けて、自分とだけ向き合っていればよい時間があれば、心のやすらぎになりはしないでしょうか。
 人はいつも人のため、将来の自分のために走っています。家族の世話をし、ともに過ごす人との会話をとぎれさせないよう、そして明日の自分に備えて。

 瞑想では、
「この数分間だけは今現在の自分のために使うと心に決めましょう」
 とよく言われます。これは今の自分以外のために生きている日常から解放して、自分の呼吸に耳を傾ける意味でとても重要なことではないでしょうか。

 しかし、よくよく考えてみると、こうした自分と向き合う場は、日本では昔から身近にあったものです。神社仏閣でのつかの間の祈りの時間もそうですし、寺での修行や遍路は言うに及ばず、温泉場での湯治なども本来はそうだったのではないでしょうか。
 それが今ではただの習慣になっていたり、厳しく堅苦しいものになっていたり、娯楽になっているのかもしれません。

おがわ・きょうこ  Ogawa Kyoko

11年3ヶ月のオーストラリア在住を経て、現在台湾新竹在住。訳書にイアン・ゴウラー著『私のガンは私が治す』(春秋社)

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