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オーストラリア代替医療事情(最終回)
alternativeとは

小川 京子(現・台湾 新竹在住)

 このコラムは「オーストラリアの代替医療」と題して連載させていただいていますが、実はこのタイトルはあまり考えないでつけました。

写真
William Ricketというアボリジニを
テーマにした彫刻家の美術館

 「Alternative(代替)」にはご存知のように「既存のものとは異なる秩序・価値観を持つもの」という意味があります。しかし、どこの文化にも伝えられていた独自の伝統医療が西洋医学中心の「既存」の枠からはずれたものとされ、現代になって再び新たな価値観を持って注目を浴びるようになってきたがゆえに「alternative」の範疇に分類されることにはやはり多少の違和感を覚えます。それは新たなものではないからです。日本の鍼灸や整体、アジアにおける気功や呼吸法、ヨガや指圧などは私にとっては「alternative」なものの中には入りません。

 実際オーストラリアでは「alternative medicine」という言葉はほとんど使われず、「integrative medicine(統合医療)」という言い方が一般的です。重要なのはそれぞれの療法なのではなく、よく言われるようにホーリスティック——"人をまるごと見ていく"ということなのだと思います。患者をとりまく西洋医学の医師と、その周辺の治療家、家族や友人それぞれが対等の立場で患者を統合的に支えていけるのが理想でしょう。さらには、かつては死後ではなく、死に旅立つ人をその枕元で見送ったとされる僧侶や宗教家、また、逝く人の道を音楽で導く念仏三味線や、安産を祈って妊婦に尺八本曲「産安」を奏した虚無僧たち、人間の営みはもしかすると本来ことごとく祈りに根ざしていたものなのかもしれません。

 私の本職は日本語教師ですが、語学教育でも「ホーリスティック・アプローチ」という言葉が使われます。

 私がこの職業についたきっかけには美しい日本語への愛情のほかに、学生時代、非公式に帰国し始めていたいわゆる中国残留孤児の家族に接する機会を持ったことがあります。社会の中で人とコミュニケーションできること、正等な教育を受けることは人間の基本的な権利として守られなくてはならないものです。過酷な農村で育った帰国者の中には、生まれて初めて書いた文字が母国語ではなく、ひらがなだったという人もいました。

 一方、オーストラリアでは、母国では医者だったという年配の男性が、英語学校からの現場実習で私の研究室に2週間ほど派遣されてきたことがあります。その方は移民して8年ということでしたが、まだ英語がおぼつかず、母国の資格もオーストラリアでは通用しないため、生活保護を受けながら英語学校に通い続けているということでした。政策に関する意見は別にして、この方たちには失われた自信と誇りをとりもどすことがwell being にとって最優先の課題となるでしょう。

 日本語教育の実際例としては、日本の農村に嫁いだアジアからの花嫁の支援が精神科医、保健婦、日本語教師、地域ボランティアと多岐にわたる人々のネットワークにより支援されている事例があります。ここでは、どの立場の人もすべて対等なパートナーとなるのが、医療の現場の医者対患者というまだ強い力関係と異なるところかもしれません。ともあれ、こう考えていくと当然ながら、地域社会、教師、企業など、当然ながらすべての人が人間の「ホーリスティック」な生の一端を担っていると言えるでしょう。

 これまでも触れてきましたが、オーストラリアは国民のほとんどが新しく外地からやってきた人間で、国としての長い歴史や伝統が確立していません。そこで激しい既存の価値観がない分だけ、逆にどのような価値観でも広く受け入れられる素地があるような気がします。これまでいろいろレポートしてきましたが、この国でいちばん感じたのはこの、よく言えば寛容さかもしれません。ただし、精神性を論じることに逃避して現実的な能力には欠けがちな「alternative」 な「ニューエージ」層が多いのも事実です。

 アメリカの西海岸がそうだと言われるように、オーストラリアでは気候のよいクイーンズランドにこうした人たちが集まって、働く国民の収入の半分近い税金から支払われる生活保護を受けながら生活している地域があります。また、日本では税制上の理由からか、精神性が宗教と結びつきがちなようですが、オーストラリアではビジネスとなります。また、制度的に確立していない「補完的」療法が多いためか、数回のセミナーを受講して「治療家」と名乗る人が多いのも気になるところです。

 医療では、体は医者が治すのではなく、自分が自分の体に対して責任を持つことだと言われるようになってきていますが、社会制度においても、福祉とは無条件な援助ではなく、人が自立できるように導いていくことがその目標であるべきではないかと思います。そうしてあらゆる側面がやはり補完しあいながら、人間の生活を充実させていくものなのでしょう。

おがわ・きょうこ  Ogawa Kyoko

11年3ヶ月のオーストラリア在住を経て、現在台湾新竹在住。訳書にイアン・ゴウラー著『私のガンは私が治す』(春秋社)

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