What's CAM?
<spirituality>ということばをめぐって
vol.3 「心の時代」をへて「霊性の時代」が始まる。
宮迫 千鶴
「霊」とか「霊性」について考えるようになったのは、私の場合、父が亡くなって以後のことである。
それまでの私は、中学・高校とカトリックの学校にいったせいで、「聖なるもの」や「聖人」「聖性」といった言葉で、この現実の高次元にある価値を大切にするようにと教わったが、社会に出てからは、とりあえず宗教的な視点を通してではなく、あくまでも近代的な社会性という観点からこの現実について考えるようにしてきた。それゆえとりたてて唯物的に科学的に思考していたわけではないけれど、「目に見えない」ものについては言及しないようにしていたので、「心」と「体」については考えていたつもりだが、「霊」については考えてみることもなかった。
そんな私が父が亡くなったときはじめて、「死」について考えるようになった。しかし、いざ死に向き合ってみると、それまでの私が持っていた知識や認識あるいは世界観ではどうにもならないことがわかって、それまで読んだこともないような本を手にとったり、未知だった分野に入り込むことになった。そこで出会ったのが「霊」や「霊性」である。だが、この「霊」や「霊性」を把握するのはなかなかむつかしいものがあった。私が霊能力者であればすっきりとわかるのであろうが、残念ながら私は凡人であるからさまざまな懐疑や疑惑の念を抱きながら薮のなかを進むしかなかった。その凡人的理解をのべるとつぎのようになる。
手当たり次第読んだ、宗教家、霊能力者、チャネラー、ヒーラーなどの本に共通していることがある。それは人間は死後、「霊」的存在になるということだ。そしてその「霊」はさまざまな死後の世界を「生きていく」。最初はこのことをどう受け容れていいのか困惑したが、近ごろはむしろ、そうだったのかと安堵の気持ちすらわいてくるようになった。
ではこの「霊」はいつどこで生まれるのかというと、私たちの死後、突然発生するのではない。実は、この世に生きている私たちの存在のなかにすでに在るものなのである。つまり私たちはこの世に誕生したときに、「心」と「体」と「霊」から成り立った「いのち」を授かっているのである。
別の言い方をすれば、私たちの中に最初から「霊」がある。それは「体」や「心」のように目に見えるものではないけれど、その人の存在を高貴に輝かせていたり、あるいは卑しく濁らせていたりというかたちで発現する力になっている。「霊性」というのは、その「霊」の質や状態をいうのである。
——ということにたどりついたとき、私は敬愛する精神科医の加藤清先生から、つぎのような話を聞いた。
ある患者さんが、自分の主治医について「あの先生は霊性が低いので、僕を治せません」といった。「それでは僕はどうなんですか」と加藤先生が尋ねたら、「先生はわたしより少しだけ高いです」と答えたという。私にとって、このエピソードは「霊性」ということを考えるときの大きな導きになっている。
というのが、私が理解した「霊」や「霊性」である。
つまり私の場合、「死」や「死後」から「霊」や「霊性」を認識するようになったわけだが、現代社会においてこの「霊」や「霊性」が理解されない最大の原因は、現代人が「輪廻転生」という問題、すなわち「前世」や「来世」という「いのちの循環」を無視した生命観しか抱かなくなったことにあるのではないかと思っている。
![]() 『「いのち」からの贈り物〜"運命の環"が導く、スピリチュアルな生き方』 宮迫千鶴著 |
あるいはこういう言い方もできるかもしれない。この社会をカジュアルに生きているときには、健康な「心」と「体」があれば充分なのであるが、「生の根源」を見つめたり、「死の凝視」が必要になったりしたときには、「心」と「体」だけでは納得のいく答えが得られない。そのときに「霊」や「霊性」に目覚めざるを得ないのである。これまでの文明では、「霊」や「霊性」に関することは宗教や神秘学が教えてきた。しかしWHO(世界保健機関)の新しい「健康の条件」が象徴的なように、健康というきわめて日常的で"この世的"なことのなかで、「霊」や「霊性」が見つめ直されようとしている。
20世紀の後半は〈心の時代〉が叫ばれたが、これからは〈霊性の時代〉がやってくるのである。それは生と死を"ともに受容する"新鮮でクリアーな意識の始まりのような気がする。
'CAMUNet correspondence' vol.3(Aug,2000)より
みやさこ・ちづる
1947年広島生まれ。広島県立女子大学文学部卒業。画家、評論家、エッセイスト。画文集「緑の午後」で、世界でもっとも美しい本展(ライプチヒ)銀賞受賞。著書に「美しい庭のように老いる」など著書に「緑の午後」「草と風の癒し」「海と森の言葉」「かぼちゃの生活」など。伊豆高原で、「生きもの」としての自然をまっとうに守る暮らしに目覚める。
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